チャリナビ - Charity NAVI

公益財団
吉野山保勝会

自然をまもる


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団体概要

近年自然現象の変化等により、桜の病虫害、老化が進み樹勢の衰弱が目立っています。桜対策委員会を設置し、桜活性の研究と実態調査などを行ない、この結果をもとに、より一層の管理に努めています。
 吉野山に熱い思いを寄せられた多くの人びとの物心両面にわたるご支援をいただきながら、より充実した活動を続けてまいります。

チャリプラからのオススメコメント

世界遺産であり、日本さくら名所100選のひとつでもある吉野山の史跡、名勝その他文化財を永遠に保存するために活動している団体です。そのルーツはとても古く、大正5年以来の歴史と伝統があります。下草刈り、病害虫の除去、植樹、施肥、勉強会、サマースクール、広報誌発行と、吉野山を守る活動は年間を通じて多忙を極めています。

代表者からのメッセージ

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会長  北岡篤

宮坂敏和先生の思い出                                               ~(財)吉野山保勝会理事長就任のご挨拶に代えて ~                                      福井良盟   昨年末、長年保勝会理事長を務めて頂いた藤井泰育様より、次年度からの理事長をと伝えられた時、思わず脳裏に浮かんだのが、元吉野山小学校の宮坂敏和先生のお姿であった。私が小学校へ通ったのは、もう50年以上前の話である。その頃の吉野山小学校では高学年になると校長先生の時間というのがあった。ある時宿題が出された。「次の受業迄に、吉野山の道端に建っている歌碑をみつけて何を書いてあるのかお父さんお母さんに聞いてくるように」というものだった。国語や算数は毎日受業があるので宿題はその日の内にやっておく必要がある。ところが、一週間に一回の授業だから、そのうち捜しに行こうと思いながら一週間が経ってしまった。一人づつ自分の見つけた歌碑・句碑を発表し、見つけられなかった者はどこからどこまで捜したかを云わされた。例えば中町の児童が「学校から八木屋まで歩きましたが有りませんでした」と答えると、校長は「惜しいね、勝手神社の中へ入れば見つかったのに」となぐさめ、その歌碑の意味や歴史的背景について解説された。よしこの手で行こうと考えた私は「宮坂から家まで捜しましたがありませんでした」と答えた。直ぐさま校長は顔を真っ赤にして、どなりつけるように「心そこにあらざらば 見えども見えず 聞けども聞えず」と和歌のように、都々逸のような言葉を示され、その解説に残り時を全部使ってしまわれた。私の住む竹林院の庭にはその当時、3基の歌碑が建っていたのです。宿題を忘れただけで何故あんなに叱るんだろうとその時は怒った校長先生に腹立しくさえ思っていたものです。しかし成人するにつれこの事を思い出す度に何となく理解できるようにもなってきました。「自分の足元から全てが始まるんだよ」「吉野山には他所の子供達には経験できない学習の機会があるんだよ」そんな事を校長先生は児童達に伝えたかったのではないでしょうか。さくらんぼ拾いも校長の宿題、毎年6月始めに出される宿題でした。宿題の前後に必ずこんな話をされました。「君達がさくらんぼを拾い集め、苗を作り、その苗を全国に贈って花を咲かせることは、この吉野山の為にもなるばかりでなく、日本国の為にもなる」と。昭和30年前後、未だ「戦后」といわれた時代です。桜は軍国主義の名残り、特に特攻隊の精神を表す花と見られていました。子供心にさえ、校長先生は右翼かなと思えました。宮坂先生に対する和の誤解は高校の時 本居宣長の「しきしまのやまと心を人間はば朝日に匂ふ山桜花」の歌に触れ、大学生になって小林秀雄のもののあはれ論を読んだ時、やっと解消することができました。私達の吉野山に生きる桜は、単にその姿の見事さを愛でる対象であるだけではなく、日本の文化とそれを創み出した日本人の精神に深く結びつけられてこそ理解し得る。私は今年の始めから、財団法人吉野山保勝会の理事長という幸運に巡り会うことができました。与えられた任務を全うすることができれば、宮坂先生の御教示を実践出来たことになると密かに希望を抱いています。吉野山の白山桜を保全すると同時に、可能な限り、吉野山の同胞と共に、この山桜に込められた日本文化、日本精神の高揚に全力を傾けたいと願います

団体情報

所在地 639 - 3115 奈良県 吉野郡吉野町吉野山2430
連絡先 0746 - 32 - 1877 / hoshoukai@cap.ocn.ne.jp
(担当者:米田 聖子)
設立年月日 1915 年 11 月
活動エリア 日本、奈良県